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オカシナ話は底なし

さっき、コンビニに行ってきたが、ちょうどお弁当とかの入れ替えをやっていた。
搬入用のボックスにどんどんとお弁当やスパゲティが入れられ、溢れるほどになった。
以前にコンビニ弁当の半分くらいは客が買うために置いているだけ。つまり、置いてる量が少なくてスカスカの棚やと購買意欲が無くなるっていう心理現象に基づいて、余って捨てるとわかりつつカモフラージュで置いている、と聞いたことがあった。
確かに、それくらいの勢いやったから色々と店員さんに聞こうと思ったら、一発目の質問「さっきのアレは全部捨てるんですか?」で怖気づいてしまった感じやった。多分アレをくれって言って聞かない輩が多いのかな~と思いつつ、まともに取り合ってくれそうになかったから諦めた。

先進国で捨てられる食料は、飢餓で苦しんで死んでいく人が必要としてる食糧の量をはるかに超えているそうだ。
また、「ホームレスが糖尿病になるフザケタ国は日本くらいだ」と中国人ホームレスが言っていたよという記事も読んだことがある。

いずれにしても、オカシナ話である。
けど、僕らに何ができるのか?
捨てられるそれを、一つでも購入しますと言えば解決する単純な話か?
あるいは、食品を購入しなければ、その分それに使用されている食材が食糧不足で苦しむ人々に届くのだろうか?



彼らには、食糧がその国に十分にあったとしても買うお金が無い、お金を稼ぐ仕事にありつけない現実がある。そしてその現実は世襲制だ。

こういう問題というのは、正直、「ひとりひとり」のチョットした動きではどうしようもない気がしている。それは問題を撫でるだけで、本質を突いていない。そう思うのだ。
この前「マクド」のトレーに敷いている紙に、「できることから始めよう!」みたいなのがあったが、(それはいわゆる「エコ」の話だったが)他力本願の姿勢を露呈したにすぎない。

不買運動だけでは、国内で食糧が余るだけ。
それが企業の生産減に繋がれば、ブラジルかどっかで生産されている牛を飼育するのに切り開くジャングルの面積が減少して環境問題解決の一助になる・・・それは相当な不買の話だろう。
そして結局は飢餓の問題にはつながらない。もしかしたら、ジャングルを切り開いく時にだけ雇われる、貧しい人の短期で唯一の職を奪うことになるかもしれない。

とりあえず、こういう問題は本質を突かないと意味を成さないが、本質はどこか?という問いには底なしの難しさを感じる。
by romantic-sloth | 2008-10-20 02:31 | 雑想ノート